No.245
2008.9.25

目線と汚染

「目線」とは辞書によると「視線。もともと映画やTV界の語」とある。最近その意味が変化して使われるようになった。 「国民の目線」は、福田首相が好んで使っていた言葉だが、その「目線」にもいろいろある。男目線、女(心)目線、大人目線、子供目線、上から目線、下から目線、はたまた猫目線−−−。目線の高さが変われば景色は違って見える。一体猫は(我が家にもオス猫が一匹エラソーに君臨しているが)人間の足元ばかり見ているようだが、どのように見えているのか、猫目線を体験しようと床に這いつくばってみたが、フローリングの埃ばかりがやたらに目についた。なるほど納得!(すぐ掃除した)。

どこに目線を置くかによって見えるものも見えなくなるし、普段見えないものが見えてくることもある。企業は消費者目線で経営を続ける。税金で食っている政治家・官僚は、国民目線で国益のため仕事を続ける。ごくごく当たり前のことである。しかし今回の汚染米事件はどうだ。農水省も三笠フーズを始めとする企業にも国民(消費者)目線の一かけらもない。あるのは自己利益目線のみ。そしてギョーザ事件の犯人もまだきちんと特定されていない中で、またまた中国から汚染乳が入ってきた。タンパク質の量を高く見せかけるため、工業用のメラミンを混ぜたという。この汚染乳を原料にした菓子・加工食品が出回っているらしい。哲学なき政治家・官僚そして企業は洋の東西を問わず消え去るべし――である。


幹部に訴える(185)
部下指導(91)
〔面接技法―コーチングの実践(48)〕

再び言葉遣いについて

言葉というものはつくづく難しいものだと思う。これまでも数回にわたって「言葉には魂がある」「日本では昔から言霊があり、我々の行動はその言葉に支配される」「したがって出来ればお互いにプラスの言葉遣いをしよう」などと言ってきた。また自らも実行してきたつもりだが現実はなかなか大変だ。その時の気持ちの置きどころや環境・状況によって言葉はコロコロ変化する。 言葉には三つある。
@ 自分が喋ろうとしている言葉
A 実際に自分が言ってしまった言葉
B 相手が受け取った言葉
この三つが一致することはまず無い。
例えば、部下の仕事ぶりに問題がある場合、上司側として言おうとしている言葉(@)は「最近体調でも悪いのかな」であるが、ついつい「最近たるんでないか?ヤル気あるのか?」と言ってしまう(Aの言葉)。すると相手(部下)は「ヤル気がないなら辞めろ」と言われたと受け取ってしまう(Bの言葉だ)。そして悩む。とくに最近の打たれ弱い新入社員にとっては上司の言葉の一つ一つは脳みそにビンビン響くはずだ。何気なく発する言葉の中にこそ、その人の本心が隠れているとしたらやはり言葉は怖い。

検察官の言葉

裁判員制度が導入されるにあたり、最近、模擬裁判がちょくちょく行われている。その中で検察官の言葉遣いが問題となっている(日経9/7)。
「『ふ〜ん、そうなんだ』とか検察官の言い方が“上から目線”で印象が悪い」
「言い淀んでいる証人に対して『よく思い出してください!』などと若い検察官が威圧的だ。自分が証人ならあんな言い方をされたら嫌だ」
有罪・無罪を決める評議の場で素人の裁判官から出た指摘だ。要するに裁判員役の6人の市民は法廷の検察官の尋問態度にあからさまな拒否反応を示した‐――という。
                                        弁護側は被告を「〜さん」と呼び「〜ですか?」と丁寧に質問しているのとは対照的だ。 検察官も“お上意識”から抜け出し“下から目線”の言葉へ改革が求められる――とある。

アルバイトと正社員

もう一つ。同日付の朝日新聞の「声」欄からー。
健康施設で働くアルバイト歴1年の専門学校生。同僚のアルバイトは、正社員から些細なことで叱られると「こっちは働いてやっているのに」の捨て台詞を残して一カ月もしないで辞めていく。多分上司である正社員は「使ってやっている」という“上から目線”で接していたのだろう。一方でアルバイトに対して「働いてもらっている」と心から表現する正社員もいるとか。そしてお互いを尊重しながら働くことの大切さを訴えている。
上記二つの事例は結局、いかなる場合も立場の上下にとらわれることなく、“思いやり”のある言葉を遣うことの大切さを教えている。

以上

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