No.217
2006.5.25
 

〔会社法の施行〕

この5月より、会社法が施行された。新しく有限会社の設立が出来なくなった代わりに、1円の資本金でも堂々と株式会社を設立することが出来る。
また、商法で年2回と決まっていた配当回数の制限が無くなり(定款を変更して)四半期配当も可能となった。すでに上場企業の120社がこれを検討しているという。投資家が注目するのもムリはない。
経営判断を迅速に実行に移し、事業運営の機動性を高めるこの法律は、日本経済の活性化に大きく貢献しそうだ。

幹部に訴える(163)
部下指導(69)
〔面接技法―コーチングの実践(26)〕

「やってみて 言って聞かせて させてみて
 ほめてやらねば 人は動かじ」

これは、山本五十六のあまりにも有名な言葉である。その山本五十六は普段どんな褒め方、叱り方をしたのか。コーチングから少し外れるが、今月は阿川弘之著の「山本五十六」(新潮文庫)の中から抜粋して紹介してみよう。

当時の日本は明治維新以来、6〜70年で世界第三位の海軍にのし上がったという慢心があり、「米英何するものぞ」の空気があったらしいが、山本はそのようなことはなかった。むしろアメリカ大好き人間であったようだ。
山本が未だワシントン駐在の海軍武官当時、部下から「英語の勉強をするのに偉人伝を読みたいと思うが、誰の伝記が良いだろうか」と相談された時、即座に「そりゃあ、リンカーンだ。ボクはリンカーンが好きだね。リンカーン伝を読みたまえ」と答えている。山本が敬服していたのは、ケンタッキーの貧家の出であるリンカーンが、奴隷解放、女性解放、つまり人類の自由のために奮闘努力したこと。そしてリンカーンが意志の人であったことである。「時には神すらも信ぜぬ、だから誤りもする。人間らしい誤ちをするところに人間味がある。これなくして人の上に立てないよ。これがあるから誤ちを許し、同情し、助け合う事が出来るのだ」とも言っている。山本にとって、リンカーンはリーダーの理想像であった。

〔褒める〕

ワシントン在任中、大統領(カルビン・クーリッジ大統領)のレセプションに部下の三和少佐と参加したときのこと。レセプションといっても大統領夫妻の前に出て「How do you do?」とか何とかいって握手して帰ってくるだけのこと。帰ってくるなり三和少佐に、「おい、クーリッジのネクタイは何色だった?」と聞いている。三和少佐は大統領がモーニングを着ていたことは記憶しているが、ネクタイの色までは分からない。「気がつきませんでした」と言うと「別にネクタイが何色だったかはかまわないが、臆せず落ち着いて対応せよというんだ。そうしたら一瞬の間でもネクタイの色ぐらいは分かる。しかしモーニングを着ていたことが分かっただけでも初回としてはよろしい。」

〔叱 る〕

同じ米国駐在武官だった頃、最初の補佐官だった山本親雄と雑談の折、「軍人は政治に関わらずというのが御勅諭の精神ですから、自分は政治のことにはあまり関心を払わないことにしています。新聞も政治面はあまり見ません」と言うのに対し、「馬鹿者。政治に関わらずというのは、知らんでいいということではない。そんな心掛けでどうするか」と叱りつけた。

〔褒める〕

山本五十六が司令長官になって1ヵ月後(S14年10月)のこと「第123作業」と称する夜間演習が行われることになった。山本五十六率いる戦艦部隊を航空部隊が捕捉して空からの攻撃をかける訓練であった。この時、航空部隊は訓練用の魚雷を全て命中させた。山本は演習終了後、第一航空戦隊司令官小沢治三部あてに「第123作業見事なり」の電報を打った。

〔叱 る〕

ほぼ同じ頃、部下の藤田と自動車で三田尻駅へ移動中、どうしたはずみか田舎道であっという間に路肩から田んぼの中に突っ込み大きく傾いた。2人とも怪我はなかったが、山本は藤田に「自分の身体じゃあないからな。陛下の身体だから注意しろよ」とただそれだけ言った。

〔褒める〕

大正13年、まだ山本が大佐の頃、当時の海軍機(木製布張りの機体)の寿命は200時間に制限されていた。これを超えて良好状態であっても廃棄処分することになっていた。
部下の本多大尉は国費節約上からも飛行時間の延命策を研究し、200時間→400時間、更には600時間でも大丈夫となり、1,000時間でももつものが出てきた。この報告を本多大尉から受けた山本は、「君が不安を感じる位の寿命の延びた飛行機が出現したら、真っ先に僕が搭乗しよう」と言ってはげました。

〔叱 る〕

山本が次官に就任して間もなく、高松宮宣(のぶ)仁(ひと)親王が軍令部参謀として霞ヶ関の赤煉瓦の
建物に着任することになった。高松宮は海軍大学校を卒業したばかりの若い少佐であった。部下の近藤先任副官は、宮さまのご就任の当日は一同海軍省の正面玄関に出てお迎えするよう万端準備を進めていた。そのことが山本の耳に入ると、普段あまり部下を叱った事の無い山本が「オイ、宮様は宮様として着任されるのか、海軍少佐として着任されるのか、どっちなんだ?少佐なら少佐らしく着任してもらったらいいだろう」と珍しく叱った。そのあと山本は改めて親王殿下に対する礼をとり、高松宮の部屋へ自分からあいさつに出向いた。

〔叱 る〕

同じく次官だった頃、航空部隊からの報告書の中で、「敵兵舎ラシキモノヲ発見、爆撃ヲ加ヘ・・・」云々とあるものをみとがめて「こんなあやふやなことではいかん。らしきというのはいけない。こういうことは無差別爆撃になるから注意しなくちゃあならん」といったこともある。

山本五十六は形式主義や曖昧・あやふやなことは極度に嫌ったようだ。

以上

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