| No.217 |
| 2006.5.25 |
〔会社法の施行〕 この5月より、会社法が施行された。新しく有限会社の設立が出来なくなった代わりに、1円の資本金でも堂々と株式会社を設立することが出来る。 幹部に訴える(163) 「やってみて 言って聞かせて させてみて ワシントン在任中、大統領(カルビン・クーリッジ大統領)のレセプションに部下の三和少佐と参加したときのこと。レセプションといっても大統領夫妻の前に出て「How
do you do?」とか何とかいって握手して帰ってくるだけのこと。帰ってくるなり三和少佐に、「おい、クーリッジのネクタイは何色だった?」と聞いている。三和少佐は大統領がモーニングを着ていたことは記憶しているが、ネクタイの色までは分からない。「気がつきませんでした」と言うと「別にネクタイが何色だったかはかまわないが、臆せず落ち着いて対応せよというんだ。そうしたら一瞬の間でもネクタイの色ぐらいは分かる。しかしモーニングを着ていたことが分かっただけでも初回としてはよろしい。」 同じ米国駐在武官だった頃、最初の補佐官だった山本親雄と雑談の折、「軍人は政治に関わらずというのが御勅諭の精神ですから、自分は政治のことにはあまり関心を払わないことにしています。新聞も政治面はあまり見ません」と言うのに対し、「馬鹿者。政治に関わらずというのは、知らんでいいということではない。そんな心掛けでどうするか」と叱りつけた。 山本五十六が司令長官になって1ヵ月後(S14年10月)のこと「第123作業」と称する夜間演習が行われることになった。山本五十六率いる戦艦部隊を航空部隊が捕捉して空からの攻撃をかける訓練であった。この時、航空部隊は訓練用の魚雷を全て命中させた。山本は演習終了後、第一航空戦隊司令官小沢治三部あてに「第123作業見事なり」の電報を打った。 ほぼ同じ頃、部下の藤田と自動車で三田尻駅へ移動中、どうしたはずみか田舎道であっという間に路肩から田んぼの中に突っ込み大きく傾いた。2人とも怪我はなかったが、山本は藤田に「自分の身体じゃあないからな。陛下の身体だから注意しろよ」とただそれだけ言った。 大正13年、まだ山本が大佐の頃、当時の海軍機(木製布張りの機体)の寿命は200時間に制限されていた。これを超えて良好状態であっても廃棄処分することになっていた。 山本が次官に就任して間もなく、高松宮宣(のぶ)仁(ひと)親王が軍令部参謀として霞ヶ関の赤煉瓦の 同じく次官だった頃、航空部隊からの報告書の中で、「敵兵舎ラシキモノヲ発見、爆撃ヲ加ヘ・・・」云々とあるものをみとがめて「こんなあやふやなことではいかん。らしきというのはいけない。こういうことは無差別爆撃になるから注意しなくちゃあならん」といったこともある。 以上 |