No.190
2004.2.25

今月の言葉

〔気になる言葉〕

 誰もが気づいていることだと思うが、最近「〜したい思います」という言葉をよく使うようになった。〜したいという期待だけでなく、更にそれを思うというオマケ付きである。
例えば「只今から○○会議を開催したいと思います」などと使う。司会者が思わなくとも会議は開催される。「只今から○○会議を開催します」とナゼきちんと言わないのか不思議である。

 社民党の辻本清美元議員が刑の確定した日「今後は身を律して歩んで参りたい思います」と言っていた。その無念の気持ちは分らぬではないが、ここはひとつ「身を律して歩んで参ります」と言って欲しかった。

 先日、さる有名なエコノミストがTV番組の対談で「私的には〜」と発言していたのにはそれこそ私的にはひっくり返ってしまった。「〜的」という言葉は最近の若者の流行らしいが何ともしまりのない言葉である。

 こうした婉曲的なモノの言い方の本質は責任回避にあると思う。出来るだけ穏便に、やわらかく、摩擦をさけてという気持ちからだろう。

 「責任回避」といえば「遺憾に思います」も大いに気になる。政治家、警察、学校、病院、大企業のトップなどが不祥事を起こす度に記者会見の場で「このような不祥事をおこしまして誠に遺憾であります」などという。

「遺憾」=@じゅうぶんできなくて心残りがあるようす。残念。 A不満であるようす B困ったことを思うようす(三省堂・国語辞典)とある。

まるで他人事である。「誠に申し訳ありません、スミマセン」とナゼ言わないのか。責任回避の姿勢がミエミエである。遺憾はイカンですよ。

我々ビジネスの世界でもこうしたあいまいな言葉は盛んに使われている。来月の売上目標を達成するために「何とか頑張ります」とか「精一杯頑張ります」とか言っている。極端になると「何とか、精一杯、頑張り たい と思います」とくる。これで通るのだから不思議である。そこに科学的具体性は全くない。

こうしてその場を何とか逃げる。そこである企業は営業会議の際、次の三つを唱和して始めることにした。

 

― 幹部に訴える(138)―

部下指導(44)
[面接技法 ― コーチングの実践(1)]


 特別編のため2ヶ月ほどこの項が飛んでしまったので改めて面接技法について確認しておこう。
 部下指導のための面接技法は大きく次の三つに分けられる。

一つは  ティーチング(アドバイジング)
二つは  カウンセリング
三つは  コーチング

 ティーチング(アドバイジング)は上司として自分の経験・体験から学んだ技術や作業方法をマニュアルなどを通して部下に直接教えるものであり、時として人生(仕事)の先輩として、ものの見方や考え方など「あるべき論」を教えることもある。
とくに部下の作業(仕事)能力を向上させるにはこのやり方は効果的である。(但し教え方の原則であるTWIの手順を踏まえることが前提となる。TWIの教え方の4段階とは @習う準備をさせる A作業を説明する Bやらせてみる C教えたあとをみる―である)
ティーチングはややもすると一方的な押し付けになりがちである。特に仕事に対する取組み方、態度を指導するとなるとどうしても「アレはダメ」「これはダメ」と家父長的な教育になりがちである。

 一方、カウンセリングはフロイトの心理分析に端を発するが、人間関係や考え方の違いからくるノイローゼや誤解など心理的悩みのある者に対して、その解決策を過去に遡って特定しようとするものである。じっくり面接を行うことによって過去のわだかまりや悩みが自然に解けて、精神的に安定する。
しかし過去の悩みは解決しても、現在から将来に向っての方向性や解決策は生まれない。ここにひとつの限界がある。(最近は未来志向の強いカウンセリングもあるが―)

 その点コーチングは「現在から将来(目標)に向ってどうすべきかの計画をたてるのを上司がサポートしていく」ところに大きなポイントがある。三つの違いを図で示せば以下のようになる。


コーチ … スポーツの世界では良く聞かれる言葉だ。
マラソンの高橋尚子選手の小出監督は監督兼コーチでもある。プロ野球でもコーチの果す役割は絶大である。
ビジネスの世界ではコーチという名称の役職はないが部門長そのものが「コーチ」であると言える。良いコーチ(部門長)に恵まれた部下は幸せである。
ところでコーチとはもともと「馬車」の意味。そこから「大切な人を現在その人がいるところからその人の望むところまで送り届ける」ことを言う。
1980年代にアメリカのビジネスの分野で大ブレークしたのち10年ほど前、日本にも本格的に入ってきた。


以  上

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