今月の言葉

2002.6.25

NO.170

[ワールドカップと明治時代]

この6月、日本の全土は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。決勝トーナメントでトルコに敗れたとは言え、老いも若きも、男も女も、そしてサッカーにそれほど興味のなかった者もみんな燃え上がった。まるで日本中が一つになった感じさえする。騒ぎに全くソッポを向いていた人々もTVのスイッチをチョコッと入れてみたりしたのではないだろうか。
この全国民が熱狂する様は、初めて世界を知った明治時代に良く似ているという。
明治時代……それは世界の片隅であまり知られることなく存在していた小国日本が、初めて国家というものに目覚め、身ぶるいしながら全身で世界の列強にぶつかっていった少年のような純粋さをもった時代である。時の政府は、ドイツ・フランスなどヨーロッパ諸国から技術者を招き、日本の近代化を猛烈な勢いですすめていった。
こうしてみると、フランス人であるトルシエをトップに頂き、世界を相手に、小さな身体ながら死にもの狂いで戦っている姿は明治時代のそれと確かによく似ている。
予選リーグを勝ち抜いた時「新しい日本の歴史が生れた」と興奮しながらまくしたてていたトルシエ監督が印象的であった。
しかし華々しいマスコミ報道がされる一方、参加32ヶ国の内情は厳しい。日本や一部の欧米諸国のように豊かな国ばかりではない。経済危機、政治不安に直面している国もある。選手の中には大統領候補もいるという。彼等は自らの生活と国家の威信をかけて崖っぷちの戦いを展開している。
石原慎太郎都知事ではないが試合の結果は外交交渉にも影響するらしい。
そういえば、フランスの植民地であったセネガルがフランスを破った後、パリの街頭で「もうフランスの属国ではない」と
さけびながら歓喜するセネガルサポーターの姿が衛生中継されていた。
こうなるともはやスポーツというよりサッカーという名を借りた世界(代理)戦争である。
それにしても、オリンピックとはまた違ったこの熱気、フィーバー振りは開催国になってみて、初めて知ったことである。これほどすごいとは─そんなことも知らずにこれまで世界の片隅にいた我々は、今ようやくサッカーの明治時代を迎えたのかも知れない。

― 幹部に訴える(121)―
―部下指導(27)―

〔教育者・トルシエ〕
 「白い呪術師」「激情家」「妥協を知らぬ男」……トルシエ監督に対する評価は様々だ。しかし最もトルシエらしいと思われるのは「教育者・トルシエ」だろう。選手一人一人の個性は尊重するがチームを乱す利己主義を最もきらう。全力をあげて真剣に取り組まない者、いい加減なプレーは断固として排除する。彼の徹底した指導振りが時々TVに映し出されるが、まるでケンカ腰で選手につかみかからんばかりである。
しかし予選リーグで勝利を納め、監督のもとへかけ寄ってくる選手達を迎え入れるトルシエの目は可愛い息子たちをみつめる慈父のそれだ。
ところでトルシエ監督の指導理念は何だろうか。選手一人一人に何を期待したのだろうか?もうすでに各情報誌等でご存知の方も多いと思うがあらためて紹介してみる。
 〔チーム理念〕として簡けつにまとめられている。
@もっと自己を表現すべし
A自らの責任と判断で行動すべし
B人間としての「経験」を積むべし
C国を出たら己こそ国家の代表と意識すべし
D成熟した大人のエスプリ(スランス語で精神の意味)を持つべし
一言で言えば「世界に通用する大人になれ」と言っている。選手たちというより我々日本人に呼びかけている様で何とも面映ゆい。……とここまで書いてふとあることを思い出した。
 相当古い話だが、プロ野球の巨人軍の理念である。
 巨人軍創設の正力オーナー(正力松太郎氏)は次の三つを巨人軍に示したという。
   ひとつ 巨人軍は強くあれ
   ふたつ 巨人軍は紳士であれ
   みっつ 巨人軍はアメリカ野球に追いつき追い越せ
川上監督はいつもこのことを頭に置いて選手を導いていった。この精神は、現在の原監督にも引き継がれているに違いない。優れた指導者は例外なくチーム運営に何らかの一家言(いっかげん)を持っている。だからブレない。変な妥協はしない。
 これは部下指導の原点である。
                           以上
    株式会社 ニュークリエイトマネジメント
            代表取締役 亀岡 睿一(中小企業診断士)

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